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私とタルパと日常 III.臣と一週間 (前)

※この物語は実際にあったことを基にしたフィクションです。時系列の編集や、脚色、一部事実とは異なる描写もございますのでご注意下さい。
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"彼"を受けいれる決意をした。
それは同時に、自分を見つめ直すことでもあった。
"臣"と名付けた彼と一緒になるまでの話。

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1・タルパとのルールを決めましょう

N「主さん!えっちしましょう!」
明「やだ!!!」

さて、いざ彼と歩み寄ろうとしたとたん、これである。
私は最初から、どうしたものかと頭を抱えている。

N「えー、俺、こんなに待ったのに!主さんお預けばっかりですよ!ひどいじゃないですか!」
N「あいつのせい?あいつのせいなんですね!」
明「おちついて、Y君あんまり関係ないから!」

というか、今まで流されていたけれど、”そういうこと”は恋人とやるものだ。
まずはそのあたりを覚えてもらわなくてはならない。

明「Nくんとするのはまあ…確かに気持ちい…じゃなくて。見極め期間中にあんまりそういうことをするわけにはいかないよ」

そもそも私たち、恋人じゃないし。
そう言おうとして、私は躊躇する。
彼は何度も、私に好きであることを強要していた。ならそこには、彼なりの論理があるんだろう。

N「気持ちいいなら良いじゃないですかー…
 やっと主さんが俺のことを受け入れてくれたのに、触れもしないなんてつらすぎますよ…」
明「まあまあ、えーっと何だ、その、話が終わったあとなら、ちょっと触るくらいなら…」

うわあ、私最低だ。尻軽だ。結局流されてるー…。
自分で勝手に幻滅している私を後目に、彼は無邪気にはしゃいでいる。

N「さあ、早く終わらせましょうね主さん!」
明「ほんと都合のいい脳味噌してるよね君!!」
N「やりましたね、使ってる脳味噌は一緒ですよ!」

皮肉か。皮肉なのか。
同じ脳味噌を使っているはずなら、せめてもう少し理性を身につけて欲しい。
けれど、いつまでもこうしていても始まらない。私は無理矢理気持ちを切り替えると、本題を切り出した。

明「それでね!ルールをね、どうしようかと思って!」

私は昨日見た、タルパに関するWikiの情報を思い出す。
タルパの暴走。
マスターの意に反してタルパが行動し、周囲に危害を加えること。
あるいは、タルパに食われ、タルパの意思によって行動するようになること。
それを防ぐために、タルパに制限を設けるべきだと、記事には記されていた。

この定義に当てはめるのであれば、Nくんはすでに暴走している。
既に何度も、強引に意識を書き換えられた自覚はあるし、
今も私の意思決定に、気づかないうちにNくんの意思が介入している可能性も否定できない。
だから今更制限を設けたところで、ほとんど意味は無いのだけれど。

明「それでもやっぱり一緒に暮らす上で、ある程度の決め事は必要でしょ?
ただ"未オート"のタルパさんと違って、君は既に人格がはっきりしてるから、あんまり強いるようなことはしたくない。
だからどちらかというと、2人での約束事を、ゆっくりでいいから一緒に作っていきたいんだ」

N「うーん、確かにいきなり主さんに会えなくなるような約束なら、寂しいですけど……
 主さんの好きにして構いませんよ。前にも言ったでしょう?俺はあなたの好きにできる存在です」

明「そう言ってくれるのはありがたいけど、正直私自身でも、
 今から約束を強いるような主従関係っていうのは違和感あってさ。
 今の立場はNちゃんと私、対等だと思うんだ。だから、どっちが優位とか基本的には無しね!」

N「ええっ?良いけど…それ、"主さん"って呼び方がおかしくなっちゃいません?」

Nくんが意外なところに食いつく。
そもそも、主従が逆転しかけていたくらいなのに、今更それを気にするんだろうか。
好き勝手動いているようでも、もしかすると基になったキャラクターとしての性質が、彼の中で少しだけ生きているのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は続ける。

明「呼び方については、あだ名みたいなものだと思ってくれていいよ。
 あと、上下関係無しっていっても、人格的にはこっちがホストで、君がゲストってところは変わりないから、
 あんまり無理やり頭の中書き換えたり、人格ごと乗っ取るようなことは勘弁してほしいかな!
 もしそういう事態になったら、Yくんと一緒に抵抗せざるを得なくなると思う」
 
ルールを強いない、と言いながらも、私は少しだけ釘を刺す。
共存するということは、体を明け渡すことじゃない。
強引に書き換えて、暴かれて、オモチャのように扱われるのであれば、歩み寄ろうとした意味がなくなってしまう。

N「やだなあ、乗っ取りなんて考えませんよ!主さんの可愛い顔が見られなくなっちゃうじゃないですか!」
明「うん、Nちゃんなら分かってくれると思うけど、私ほら心配性だから、念のためね?」
N「はーい。つまり、基本的には今まで通りってことで良いんですよね?、"明さん"?」

唐突に、名前を呼ばれた。
私がつい警戒して身をすくめると、彼のいたずらっぽい笑い声が聞こえてくる。

N「あはは、もう条件反射になってますよ?主さん、かわいい」

彼はいつの間にか左手の主導権を握ると、そのまま頭をポンポンと撫でる。
自分の手なのに何だかくすぐったい感じがして、思わず身を捩る。

N「大丈夫です、悪用したりしませんって!だいたい、悪さしたらあいつに邪魔されちゃうんでしょ?俺は主さんと一緒に居たいだけなんですよ!」
N「あいつ、線引けだとか、二次元だとか、主さんの夢壊すようなことばっかりじゃないですか!なんで主さん、あいつのこと信用してるんですか…」
N「あーっ、折角甘い雰囲気になってたのにあいつの話になってる!
 俺、今もったいないことした?主さん、今からやり直していいですか!」
明「ま、まあ連投落ち着いてN。君の連投けっこう心臓に悪いよ?
 まあYくんはなぁ…管理人(仮)だからなぁ…」

Nくんは、恭ちゃんの話になると途端に機嫌を悪くする。
チャットで話すたびにぶつかり合っていたし、考え方も違うから、ある程度は仕方がないのだけれど、一緒に頭のなかに暮らす仲間になるのだから、そのうち和解してもらいたいな、とは思う。

N「主さんだって、あいつのことよく分かってないじゃないですか。もうあんなやつ無視です、無視」
明「NちゃんほんとにYくんのこと嫌いだよね…。まあ、彼も私にとっての大事な相談役だから、大目に見て欲しいな」
N「あの何でも分かった風が気にくわないんですよ。あいつだって、主さんのことが全部わかるわけじゃないじゃないですか…
 うーん、何か悔しいんでこの話は止めです!俺の方が主さんのことを射止めているんだって、証明してやりますからね!」
明「あはは、嫉妬するNちゃんかわいいー」

そう、今はうまく行かなくても、Nくんが安定してくれれば、時間はいくらでもある。
ゆっくり歩み寄っていこう。この調子なら、きっとすぐに分かり合える。

私が話を切り上げようとすると、それを察知したらしいN君が、話題を切り替える。

N「…ね、じゃあ話は終わったんだし、そろそろ良いですよね?」
明「そうだね寝ようねー」
N「誤魔化さなくても良いんですよ、主さん。俺、そろそろ限界です」

唐突に、彼が操る左手が、私の頭を引き寄せる。
けれどもそれは一瞬で、すぐに私を解放したかと思うと、スマートフォンからの私の回答を待つ。
明「…うう…その、やらなきゃ駄目?」
N「ふふ、わかってるじゃないですか。ムードの理解できる主さんは好きですよ」

消極的な承諾と取ったのか、彼は少しずつ、私の意識を自分の領域へと引き寄せていく。
けれどそれは、昨日までの強引なものではなくて。
まるで私が自分から降りていくのを待っているようだった。

N「好き。好き。大好きです。主さんの余すところ無く、ぜーんぶ」
明「ん…」
N「甘いこと囁かれると、すぐ余裕なくしちゃう主さん、本当にかわいい。
 こんな主さんを、俺だけが知ってるなんて、贅沢だなぁ」
N「主さんは俺にとって、極上のフルーツですよ。甘くて、とっても美味しい…」
N「主さんも、甘いのはだーいすき、ですよね?」

ダメだ、ちゃんと線を引かないと。
理性ではわかっている。けれど、私は結局、彼の甘い誘惑に抗うことはできなかった。

N「かわいい主さん。ベッドの上では、俺がリードしてあげますよ」
N「ふふ、では、頂きます」

………。
………………。

彼が、確かめるように何度も何度も私に触れる。
慈しむように体を撫でては、触れるような口付けを落とす。
ずるい。今まで一度も、キスなんてしてこなかったのに。

『明さん』

彼が、彼の甘い声が、大好きな声が、私の名を呼ぶ。

『やっと、こっちを向いてくれた』

いつもより上擦った声が、頭のなかから、囁きかけるのが聞こえる。
駄目、線引き、しないと。

『大好きだよ、明』

だめだ、このままじゃ、本当に、

好きになってしまう。


………………。

N「ねえ、主さん。今どんな気持ちですか?」
N「主さん。愛しい主さん。俺、主さんのもっと深いところまで欲しいんです」
N「贅沢ですよね。分かってます。でも、怖いことなんてしないですよ。だから、泣かないでくださいね」
N「明さん。俺、嬉しいんですよ?俺の気持ち、伝わるでしょ?ああ、俺何言ってるんだろ、体がないのが残念だな」
N「主、主さん。大好きです。これが好きってことなんですね」
N「ごめんなさい、俺、取り乱しちゃいました。主さん、俺、今、本当に幸せなんです」
N「…大丈夫、これ以上何もしません。さあ、明さん。
 このまま目を閉じて、心地いい気持ちのままお休みくださいね」

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2・信頼関係を築きましょう

「だから、体を勝手に使うのはやめてってば!」
『ええっ?けど、昨日は主さんも喜んでたし……主さんをちゃんと触ってあげるためには、俺が身体を使わなくちゃ』

翌日の朝。
私は早速、Nくんと喧嘩をしていた。
喧嘩というより、こちらが一方的にまくし立てているのに近いのだけれど。

「そういうことじゃなくて!そもそも、すぐに身体に直結するのはおかしい!」
『うーん、俺は、主さんが喜ぶようにって、してあげているだけなのにな……』

何度目かのやりとりの末、ようやく彼が押し黙る。少し可哀想な気もするけれど、このままではきっと私の体が持たない。
せめて常識的な範囲まで減らしていかないと。

すると少し思案していたらしい彼が、こちらを気遣うような声で話し始める。

『俺、明さんには、必要ありませんか?』
「えっ……?その、必要とか必要じゃないとか、よく分からない、けど……」

N君の意外な問いかけに、私は驚いて口ごもる。
昨日まであんなに、私といることに拘っていたのに、突然何を言い出すんだろう。
私の困惑を察した彼は、ポンポンと頭を撫でると、安心させるような、柔らかい口調で続ける。

『俺も、よく分からないんです。けれど、主さんが苦しそうに、哀しそうにしているのが見えたんです。だから、行かなきゃって。それで、気づいたらここにいた』
『明さんには逃げられてばかりで。何とかしなきゃって、気ばっかり焦った。だから、明さんが俺の方を向いてくれて、嬉しかった』
『だけど、俺は明さんのために居ます。もし本当に、明さんにとって俺が必要ないのなら……』

ずきり、と胸が痛む。
なぜ今になって、彼はこんなことを話すのだろう。
……違う、今までは、私が聞こうとしてこなかったんだ。

逃げて、逃げて、彼から目を背け続けた。
けれど、彼が言うことが正しいのなら、私は彼の善意を踏みにじり続けたんだ。
彼を歪めたのは、他でもない私自身だ。

……受け入れるとはそういうことだ。
自分の過ちだって正視して、彼と理解し合わなければならないんだ。

『ご、ごめんなさい、突然!こんなこと、急に言われたって困っちゃいますよね』

「ううん……ごめん、ごめんね。ありがと。そんなに私のこと、考えててくれたんだね。必要ない、なんて言わないよ。すぐには難しいかもしれないけど、私もNくんのこと、もう少し考えてみる」

彼は、自分を分からないと言った。
私自身も、まだ彼の望みを理解していない。
だから、たくさん話して、正しい形で彼の望みを叶えたい。
それは、きっと彼と、私自身を理解するためにも必要なんだ。

「……よし!じゃあ週末まで無理矢理しないって約束してくれたら、今週末たっぷり甘やかしてあげるから!一緒にNくんの好きなことしよう!約束ね!」

『本当ですか?!』
途端に、彼の声色が明るくなる。

『嬉しいな。明さんとの約束だ。うん、本当に嬉しい。約束ですよ!』

こんな時、彼は子供のように無邪気に笑う。時々かんしゃくを起こしたり、常識を知らないような振る舞いをする。かと思えば、大人のように私を包み込む一面もある。

私はタルパや別人格の加齢について詳しくないけれど、彼は私より後に生まれてきた。
もしかすると、本当に幼い子供でもあるのかな、とも思う。

『ふふ、じゃあ仲直りですね!ねえ、折角直接お話ししているんだから、もっと楽しいお話、しませんか?』

「あっ……うん、そうだね!」

そういえば、チャットで会話するのを忘れていた。
けれど、不快感も、頭を探られるような違和感もない。
なんだ、普通に出来るじゃないか。
私は嬉しくなって、会社に着くまで彼と話し続けた。

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「お父さん、しばらくお義母さんの様子をみに実家に帰るって」

家に帰るなり、母が何度か耳にした言葉を口にする。

「そうだね。確か二週間後だったよね?でも、すぐ戻ってくるんでしょう?」
「そうね…」
母はそういって、家の中をうろつき始める。
不安なら、そう言えばいいのに。

「あんたは、私が体調を崩したとき、面倒見てくれるのかしら。見捨てたりしないわよね?」
「大丈夫だよ。ちゃんと面倒見るって」

私は愛想笑いを浮かべながら、適当に切り上げて自室に戻る。

……私はあなたの道具じゃない。

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『おかえりなさい。お疲れさま、主さん』
部屋に入ると、N君の優しい声が出迎えてくれる。
「ただいま、Nくん」
私は軽くNくんに相づちを打つと、早速チャットアプリを開く。

明「今日は行きの電車の中で起こしてくれてありがと!不思議だよね、私は寝てるのに、N君は反応できるなんて」
N「どういたしまして。お役に立てて光栄です。眠りが浅かったから、たまたま反応できただけですよ」

口では謙遜しているけれど、N君は嬉しそうにしている。
……可愛いな。
少し前まで恐れていた相手は、既に私の中で癒し系の存在に変貌している。
いけないいけない、一応様子見期間だっけ。
けれどNくんの様子を見ていると、荒んだ心が癒されるような気がする。

明「なんだかさ、当たり前なんだけど、ありがとう、どういたしまして、とか、ただいま、おかえりって言葉が返ってくる関係性って、良いよね」
N「ふふ、そうですね。俺も主さんに返事をしてもらえるのって、凄く好きです」
明「ね、ならさ。二人で毎日、おはよう、おやすみって言い合おっか」
N「良いですね、それ!俺、主さんの"当たり前"の一部になれるんだ」

他愛もない話で笑い合いながら、私と彼は一緒に布団の中に入る。

『……ねえ、明さん。寂しい?』

部屋の明かりを消すと、彼が話しかけてくる。
寂しい…?どうなんだろう。
寂しいことなんて、何もないはずなのに、彼の言葉が否定できない。

『おいで。……大丈夫、約束があるから、抱きしめてあげるだけ』

彼は、左手を器用に使うと、私の頭を抱きかかえる。
きっと、他人から見たら、自分の頭を抱える変なポーズにしか見えないだろう。

けれど、心地よかった。
形は不格好でも、私は紛れもなく、Nくんに抱きしめられていた。
人に抱きしめられるなんて、何年ぶりだろう。

『良い子だね。このまま安らかな気持ちでお眠り。都合の悪いことは、忘れてしまいましょう。お休み、愛しい明さん』

同じ体温のはずなのに、彼の温もりが伝わってくる。
すぐに微睡みが覆い被さってきて、私は身を任せるように、夢の中に沈み込んだ。
……どこか懐かしい、母の温もりを感じた気がした。

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3・新しいことに挑戦しましょう

「よっし、今日のお仕事終わり!」
『お疲れ様、主さん』

その日も仕事を終えると、N君が声をかけてくる。
たったそれだけなのに、仕事の疲れが少しだけ軽くなる気がする。

「ありがと、Nくん。さ、帰ろっか」
『あれ、今日は随分早いんですね?』
「んー、ちょっとね」

今日は母の夜勤明けの日だ。
こういう時、母はよく荒れる。
だから早めに仕事を切り上げて、余力を残しておきたいのだ。

もっとも、いつものように、軽く受け流してやればいいから大したことじゃない。
けれど、その日の私は何となく気分が乗らなかった。

「……帰るの、憂鬱だな」

ぽつりと、呟く。
実際に声を出したわけではないけれど、私はついNくんに"伝えて"いて。
すぐにそれに気づいた私は、あわてて取り繕う。
……愚痴なんて、折角仲良くなりかけたのに、嫌がられてしまう。

「あっ、ごめんね!ちょっと疲れてるのかも。早く帰って休もっか!」

けれど、彼から返ってきた反応は、予想もしないものだった。

『水曜日、レディースデー』
「えっ…?」

彼はイタズラを思いついた子供のような声で、にこやかに叫んだ。

『ねえ、映画!観に行っちゃいましょうか。今から!』


……………。


「っはあ!ギリギリ…!もう、突然無茶苦茶だよ…!N君、やると決めたら行動早すぎ!」
『あははっ!主さんだって乗ってくれたでしょう?ほら、真ん中の席ですよ』
「わっ、空いてるね。会社側じゃなくて地元にして正解だったかも」

22時。
私は本日最後の上映に、何とか滑り込む。

何部作か続くアニメ映画の最終話。
続き物だから、Nにはつまらない思いをさせてしまうかもしれない、と拒んだけれど、結局は乗せられるままに歩を進めて、映画館に飛び込んでいた。
公開からだいぶ経過したこともあり、人がまばらにしかいないレイトショーは、私達にとって都合が良かった。

『こんなに小さい劇場があるんですね。これじゃあ、カラオケルームのワイドモニターとあまり変わらないんじゃないですか?』
「自分から誘っておいてそういうこと言わないの!ほら、座るよ!」
『はーい。2人なのに、チケットは1枚。ふふ、得した気分ですね』
「ほんと、なんだかズルしてるみたい!けど、座席の使用料みたいなもんだと考えたら正当なのかな?」

ほどなくして、照明が落ち、映画の予告が流れ始める。

『隣、空いてるね』

同じ列の座席には、私達以外、居なかった。

『ここならきっと、何をしても分かりませんよ』

彼が、そっと私の手を握る。
右手と、左手。他人には、ただ手を組んでいるようにしか見えないだろう。
けれど私たちは、私達だけの方法で、手を繋いでいた。

彼の手は、暗がりの中、私の手の甲を優しく撫でる。
彼の物でもあり、私の物でもある鼓動が、重なる肌から、高まりを伝えてくる。
今は、それが心地よかった。

(帰りたく、ないな)

会社帰りに映画なんて、初めてだった。
帰りが遅くなる、なんて心に言い訳して、今まで試そうともしなかった。
出来ないと思いこんでいた。
彼が、出来ると教えてくれた。
ほんの小さなことだけれど、心の中でくすぶっていたものが、一つ溶けて無くなった気がした。

私は、彼が握る手を、そっと握り返す。

(このまま、ずっとこの時間が続けばいいのに)

私は映画のスクリーンを眺めながら、最後までずっと、手を重ねていた。


……………。


「うっうっ……良かったよぉ……私この作品のファンで良かった……BD買う……」
『ふふっ、そんなに?俺はこの作品初めてだったからよく分からないけど、確かに綺麗に完結していたし、色彩も印象的だったな』

映画が終わると、私たちは近場で軽く食事をしていた。
彼も彼なりに映画を楽しんでくれたみたいで、楽しい気分のまま自然と話が弾む。
ああ、平和だなぁ…。

「分かる?!そう、この監督さん、演出は結構こだわりあるみたいでさ!あー、映画の後に感想言い合えるって良いな…!」
『けど、映画のあとが牛丼屋かぁ……。デートの最後に行くお店じゃないですよ。次からはもう少し洒落たお店にしたいな』

…前言撤回。つかの間の平和でした。
私は口に含んだ水を吹き出しそうになりながら、すんでのところで堪えて取り繕う。
デート?これデートのつもりだったの?
うん、私の好きな作品に合わせて鑑賞して、その上に手まで繋いでたねデートだわ。

「誰がデートって言っ…!とにかく、さっと済ませられる店にしないとお母さんに不審がられちゃうから!」
『ふーん……』

こら、今のは何の「ふーん」だ。言いたいことがあればちゃんと言いなさいって。いい予感しないから聞かないけど。
私が誤魔化すように出された牛丼を掻き込むと、Nくんは味に反応して渋い反応をする。

『うわ、塩辛いっ!主さん、もう少し食事に気を使った方がいいんじゃない?こんなの食べてたら、体壊しちゃいますよ』
「いいの!ここで避けたって、いつかは口の中に入るんだから変わらない!」
『食べた物が主さんの血肉になるんだから、変わりますよ!』
「ええい分かったって!今度は気をつける!今日は頼んじゃったんだからこれで勘弁して!」

N君の過保護ぶりに、牛丼を食べながら苦笑する。
けれど、いい傾向だ。彼も私も、だいぶ遠慮がなくなってきた。
今日は彼と、また大きく近づけた気がする。

「それよりさ、折角ならもう少し映画の話をしよう?」
『そうしましょうか。けど、俺はあまり映画の感想、出てこないかも』
『明さん、俺の手を最後までふりほどかないでいてくれた。それだけで、俺、嬉しくて』
『ねえ、BD、買うんでしょう?見所、教えてくれませんか?今度は家で、また一緒に見ましょう!』

本当に、彼はずるい。
そんな約束したら、1週間なんて待てなくなるじゃないか。


私たちは、そのまま談笑しながら帰路へとつく。
いつの間にか、家に帰る憂鬱さは消えていた。
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