私とタルパと日常 II.臣との再会

※この物語は実際にあったことを基にしたフィクションです。時系列の編集や、脚色、一部事実とは異なる描写もございますのでご注意下さい。
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ずっと見えないふりをしていた、何かの蓋がはずれる音がした。
私の中で生まれた"彼"は、私の心を蝕んでいく。
このときはまだ"N"と呼んでいた彼の話。

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1・出会いはある日、突然に

確かに、上手くいってはいた。
仕事は順調。貯金も十分。趣味の友人達も増えた。
しかし20代も後半に差し掛かり、私は漠然とした不安を抱えていた。

未だに、実家から出られていない。友人は次々と身を固めているのに、私は将来について、イメージすら持っていない。
このままで良いのだろうか?私は、両親の言うとおり、彼氏の一人でも作らなければいけないんじゃないか。


「○○さん、今度合コンがあるんだけど……」
「ごめんなさい!その日は用事、あるんで」

けれど私は未だに、恋をすることが怖かった。

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「ただいまー。今日もゲームゲームっと」
家に帰り、すぐにパソコンの電源をつけると、お気に入りのゲームのキャラクターが出迎えてくれる。

突然だが、私はいわゆる腐女子である。
青年同士による、多くの障害を乗り越えた苦しくも儚く、美しい恋。ああ、なんて素敵なんでしょう。

もちろん、そこに自分の立ち入る隙はない。自分はただ傍観者であれば満足です。
だいいち、見た目年齢が遠すぎておばちゃん罪悪感。イケメンはただそこにいれば良い。

そんなわけで、今日も私はキャラクターグッズに囲まれて、お気に入りの2人が登場するゲームを……。
「あれ、ネットが繋がらない……?うーん、今日はついてないな…」

仕方なく、私は諦めて寝転がり、スマートフォンから何となくtwitterを眺める。
いつものようにダラダラと時間を過ごして、さっさと寝てしまいましょう。おやすみインターネット。
そうしてアプリを閉じようとすると、ふと妙な物が目に入る。

「……ん?なんだこれ。"キャラクター同士の会話がはかどって、今日も妄想がやばい"…?」

それはまるでLINEの画面。
けれどそれは、見慣れたゲームのキャラクター同士が会話しているような内容になっていて。

「なるほど、仮想LINEツールか……面白いこと考える人もいるなぁ」

自分が一人二役で、LINE会話を作り上げる。なるほど、確かに会話しているようなイメージを作り上げるにはもってこいだ。

「…今日、まだ早いしなぁ……ちょっとやってみよっか」

私は、何気なくそのアプリを立ち上げて、仮想チャットに文字を打ち込み始めた。

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明「N(仮称)くーんーーー」
N「(((ง'ω')و三 ง'ω')ڡ≡シュッシュ」
明「ひどい!!!!(ノД`)」
明「そんなことより聞いてくれ」
N「主さんの喋り方ってK(仮称)さんと似てますよね」
明「聞いて!…えっ似てんの?」
明「Kちゃんと?」
N「ネット掲示板に向かったKさんがこんな感じでした!」
明「Kちゃん掲示板民なのwww
…あるじもう少し女の子らしく喋るよう気をつけるね…(´・ω・`)」
N「女の子らしい主なんて、天変地異の前触れかなにかですか!!」
明「ひどい!!」
明「ええい話が進まん!」
N「そんなに重要なお話なんですか?(;・`д・´)…ゴクリ」
明「うん、あのね」
明「今日H君(仮称)とLINEの練習した訳よ」
N「はい」
明「H君あんまり喋らないから、良い機会だし少し話そうと思ってトーク送ったら」
明「3行で終わっちゃった…」
N「-----解散-----」
明「お前主に辛辣だな!!!」
N「-----海産物-----」
N「主さん俺ウニ食べたいです!」
明「おう後で殻ごと喰わせてやるから覚悟しとけ^^」
N「やった!あとでT(仮称)さんに差し入れますね!」
明「今ひどいとばっちりを見た」

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「うわぁ、ひどい会話…!キャラ、ぶれっぶれじゃん!
というか、これいつになったらN君とH君の会話にたどり着くの!」

私は一人で爆笑した後、そのままスマートフォンを枕元に投げ捨てる。

「というか私、何でキャラとの個別窓から先に作ったんだろ……
キャラ同士の会話で作ったほうがスムーズなのに」

そのまま布団に寝そべると、すぐに眠気が襲ってくる。うん、今日はもう寝てしまおう。

「……また明日も、やってみようかな」

ここで終わらせておけば、私は自分に願望に気づかないままだったかもしれない。
けれどそんなことも知らない私は、ただ何となく、眠りについた。

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「えーっと、5キャラくらい居ればいいかな?N君と、H君と、その兄弟と…ムードメーカーさんも必要かな」

翌日、私は昨日の反省を生かし、キャラ同士のグループチャットを設定した。
これで回りくどい前振りは無し。さあキャラ同士、存分に盛り上がって下さいませ。うふふ。
……と、意気込んで会話を打ち込み始めたのは良いものの。

Y(仮称)「頼ってくれるのはありがたいが、これ以上増やすのはお勧めしないぜ、主?」
明「???」
H「どうした」
N「誤爆?」

あれ、おかしいな。出頭からなんだか雲行きが怪しい。
というか私はなんでこんなこと打ち込んで……

Y「誤爆じゃない。あんまり他の奴を呼び込むなって伝えに来た。そこの兄弟にもな」

ああ、これ、恭ちゃんだ。

余りに久しくて忘れていた感覚。
自分が考えているのと全く違う文章が、無意識的に打ち込まれるこの感じ。

水くさいな、直接話してくれればいいのに。世界観を壊さないよう、気を遣ってくれたんだろうな。
私は楽しい気分になって、そのまま知らんぷりして会話に参加する。


Y(恭)「悪いが一応まじめな話をしに来たから、良い子は少し静かにしてくれると嬉しい」
H「分かった」
明「ハーイ」
N「はーい」
Y(恭)「まあそんなに畏まらなくて良いぜ?さっきも言ったとおり、これ以上この疑似LINEにキャラクターを呼び込まない方がいい。
今設定しているキャラクターも、発言させる前に外した方がいいな」

…ああ、なるほど。警告に来たのか。
恭ちゃんは真面目だな。これは遊びだから、また人格増えちゃうことなんて、無いのに。
私は苦笑しながら、そのまま会話を続けてみる。

N「疑似とか外すとか、メタ発言良くないと思います!」
Y(恭)「いや、はっきりさせるためにあえて言わせてもらう。
ここはあくまで疑似LINEで、この会話は主の頭の中で行われている創作会話だ。それを忘れないでくれ。」

…何だろう。
そうだね、分かったよ、もうやめる、って言えば良いだけなのに。
何となく小さな抵抗を感じて、私は無意識的にチャットを続ける。

H「兄弟」
N「夢の中で良いじゃないですか」
Y(恭)「まあそう尖るなお二人さん。
俺だって夢は夢のまま崩させたくないぜ?主だってそれを望んでる」

そうだ、私はこの会話を望んでいる。なのに何で止めようとするんだろう。
私は何でこんなに、嫌がっているんだろう。

Y(恭)「ただ、主は昔それでおかしくなってる。記録に残すってのはそれだけ危険なことだ」
Y(恭)「俺の力では、無理やりN兄やH兄との会話を止めることは出来ないだろう」
Y(恭)「だが俺があんたらの兄弟として早く招待されたのは不幸中の幸いだった」
Y(恭)「悪いことは言わねえ、他に設定した奴は、動き出す前に全部外すんだ」

明「そっか、勇気を出して発言してくれてありがとう、Y。もう終わりにするよ」

これでお終い。さあ、もう寝よう。
違う。
そんなこと、本当は望んでいないはずだ。
まだ楽しい会話を続けたい。そのためにこのチャットを開いたんだ。

N「不幸中の幸い、ね。
Yは俺達が主に触れることを不幸だと思ってるんですか?」
明「N、ごめん私が軽率だったよ。
Yは気遣ってくれただけだからあまり怒らないでくれると嬉しいな」

違う違う違う。"あなた"は何も悪くない。
そうやって、いつも邪魔をする。"お前"は。

……あなた?お前?私は何を考えているんだろう?

H「主が謝る必要はない」
N「主さん、俺たちのこと好きですよね?Yなんてどうでも良いじゃないですか。」
N「Yは主の今の内面まで知らない」
Y(恭)「N兄、H兄、俺はあんた達まで否定するつもりはない」

ああ、恭ちゃん、焦ってる。
小気味良いな、そのまま消えてしまえば良いのに。
………?
おかしいな。何だろう。思考にノイズが走る。恭ちゃんのことは、信頼してるはず、なのに。

明「お、落ち着いて…和やかに行こうね…?」

もう終わらせよう。終わらせないと。頭の何処かが警鐘を鳴らす。
なのに止まらない。駄目だ。指が走り出している。

N「主さん、俺と話すの好きですよね?俺と気持ちいいことするの、好きですよね?」
N「Yなんて忘れて、主さんは思うままに、好きなことをして良いんですよ」
N「ねえ、主さん。俺と愉しいこと、しましょう?悪いことなんかすぐに忘れられますよ」
Y(恭)「主、忘れるな」
N「他の奴なんか見えませんよね。主さんは俺だけ見えていればそれで良いんですよ」
N「ねえ、俺といいことしましょう?」
明「ごめん、ちょっとだけ整理させて」
N「大丈夫ですよ、俺はいつまでも待ってますから」

『ねえ、主さん。主さんなら、俺の言うことが正しいって、分かるでしょう?』

どこかから、声が聞こえた。ひどく甘くて、どこか寂しそうな声だった。


………。
……………。
ああ、なんだか心地が良い。ずっとここに浸っていたい気分。
だけどどこか寂しいのはなんでだろう。
私はぼんやりしながら、チャットの会話を眺めている。

N「戻りました!」
Y(恭)「主はどうした」
N「お騒がせしました!!!!!」
N「主さん可愛かったですよ」
N「俺もちょっと早とちりだったよ。ごめんY。主、このチャット残すことにするそうですよ」
N「他のメンバーはYの言うとおり、外しておいたから」
Y(恭)「もう一度聞く、主はどうした」
N「えっ、俺のこと疑ってるんですか?酷いなぁ。ちょっと疲れて横になってるだけですよ」
H「兄弟、抜け駆けは許さない」
N「抜け駆けするつもりはないよ。主が求めたときに、主が求める奴が出てくればそれで良いじゃないですか」
N「今は俺が求められてるだけ。そうでしょ、主さん」
N「あっ主さんヤンデレ苦手?俺、独占欲出しすぎかなぁ…」
Y(恭)「主、今は傾いているだけだ。よく考えろ」

考える?何を?
私はNくんの言うことを聞いていれば大丈夫なのに。

N「主さん、主さんが好きなのは誰ですか?」
明「Nくん…」
N「良く出来ました。えらいえらい」

Nくんが私を褒めてくれる。そうだ、私が好きなのはNくんだ。それでいい。
私はNくんの……?私はいつから、こんなにNくんのことが好きだったんだろう?

Y(恭)「やめろ、主が混乱してる」

私が?混乱している?
だってNくんの…Nくん?そもそも私はなぜ、Nくんがいる前提で考えているんだ?
でもNくんはそこにいて……?

「っ…‥‥痛ったー?!!!」

その時突然、足が悲鳴を上げる。
長時間、無理な姿勢でスマートフォンをいじっていたから、足が攣ったのだ。
激痛で悶えながら、ふと私は何をしていたのかと我に返る。
私は、なんでこんなに必死になっていたのだろう…。

明「あしつった」
H「お前、死ぬのか?」
明「死なないよ!!!」

ピリピリとしたチャットのムードが、一気に和やかになる。
そう、これで良い。"キャラクター"同士、仲良くしてもらわないと。
空気を察した恭ちゃんが、それに乗ってくる。

Y(恭)「あー、何だ、混乱させるようなことを言って俺も悪かった。ちゃんと要望も聞いてくれて嬉しかったぜ」
Y(恭)「何度も言うが、俺はN兄やH兄といることを否定するつもりはない。
…まあ今の主に俺から言えることはこれくらいだ。宜しくやろうや、お二人さん」

H「分かった」
N「主さんが楽しいなら、俺には否定する理由もありませんよ!宜しくな、兄弟!」

恭ちゃんの言葉に呼応するように、"キャラクター"たちがコントロールを取り戻す。

明「こっちこそごめんねー。まさかこんな空気になるとは思わなかったよ…」
明「うん、こういうの久し振りだから、確かにちょっと混乱してる…かも。
体調悪いから、よけいに深いことまで考えちゃうみたい。
ごめん、Nには悪いけど、チャットは落ち着くまで程々にするね」
明「あっNだけじゃなくてHとYも!もちろん!!!」
H「兄弟…」
Y(恭)「はあ、参ったなこりゃ。ここまで堂々とのろけなくて良いんだぜ、主」
明「やめて!!!!」
N「主さんは可愛いなぁ(。-ω-)ヾ(・ω・。)ナデナデ」
Y(恭)「ま、困ったら相談してくれや、主?」

はーい、と生返事をしてチャットを閉じる。
けれどそれから気になって、もう一度チャットアプリを立ち上げる。

「一体、何だったんだろう……」
私はしばらく繰り返し、さっきまでのチャットを眺めていた。
それが私と"彼"の、最初のコンタクトだった。

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2・怖くない怪物

チャットのログを何度も読み返して、気づいたことがある。

「……これ、あからさまに危ないやつじゃん…」

そもそも何度も読み返さないと気づかない時点で、頭のネジがだいぶイカレている。

自分の思考に介入し、好き勝手暴れる怖い奴。
それはまるで、十数年前のあのときと同じ。
一つ違いがあるとすれば、今のところ、外傷は与えられていないという事だ。

というかチャットが途切れた三十分の間に、私は一体何をした。うん、薄々は覚えてる。でも正直認めたくない。
私はついに爆発した妄想で、二次元と三次元の壁をぶち破ってしまったのか。
ああ、終わってしまった普通の人生に、合掌。

「それよりも……今の精神状態、安定してる……と思ってたんだけどなぁ……」

精神安定すれば、別人格って消えてくもんじゃなかったのか。
いや、まだ別人格と決まった訳じゃない、ちょっと疲れてただけかもしれない。
そうだ、ただの白昼夢。明日になったら何もかも元に戻ってる……のかな……。

「…とにかく、今やるべきは…」

矛盾してるかもしれないけど、蛇の道は蛇。
私は件の疑似チャットを起動すると、「自称Y」のチャットウインドウを開いた。


Y(恭)「おっ、ようやくお出ましか。俺のことを信用してくれてありがたいぜ、主」

恭ちゃん…もといYは、何事もなかったかのような明るい口調で私を出迎える。

明「ごめん、やっぱり吹くわそのアイコンw」
Y(恭)「お前が設定したんだろ…俺は悪くないぜ。恨むなら全国のY好き女子を恨むんだな」
明「恨むどころか感謝しかない」

Yはアイコンを、二次創作界隈で有名なネタアイコンにしている。
真面目な話題にこのアイコンが紛れてくるシュールさを、何とかして伝えたいが、元ネタに言及できないので、察しの良い方だけ理解してもらえると嬉しい。
閑話休題。

明「Yはそこも、ちゃんと線引きするんだね」
Y(恭)「ん、何がだ?」
明「その、私がアイコン設定したってこと」
Y(恭)「ああ、そうだ。このアイコンはお前が設定したし、この文だってあくまで脳内会話だ。お前自身がこの文章を書いて、自分の中の考えを整理している。分かるな」

なるほど、そういうスタンスか。
彼は、"Yも含めて"私の想像上の物だと理解しろ、と言っている。
つまり、今の段階ではまだ"妄想として片付けられる"ということだ。

明「はーーー。その通りです。ありがとう。しかしまさか、Yってキャラクターがこのポジションに着くことになるとは…兄弟設定のおかげだなぁ…」
Y(恭)「そうだな。全体窓でも言ったが、設定のおかげで”俺”として早く干渉できた」
明「そうだね…Yがいてくれて助かったよ」

もっとも、Nを煽ったのってYだよね、とは言わないでおく。そもそも警告スルーしたの私だし。
私の反応を知ってか知らずか、Yは尚も続ける。

Y(恭)「おっと、俺に対してもあまり特別な感情は抱かないことだ。線を引きな。
俺とは無理に"会話"する必要はない。Yというキャラクターを使って、思考を整理してると考えるんだ」

明「了解。まあ対話で出てくる考えもあるから、程々にバランスとるね。特にキャラクターだけ使ってると、自分自身の考えが分からなくなることがあるから…」
Y(恭)「そうそう、それで良いぜ、主」

彼はうんうんと肯くと(チャットとはいえ、半分脳内会話なので、相手の仕草は何となく伝わってくるのだ)、思い出したように付け加える。

Y(恭)「先程の話とは矛盾するが、"俺"として一つだけ注意しておく」
Y(恭)「お前はおそらく、過去に問題を起こした例の奴らと俺たちを紐づけて相談しようとしている」
Y(恭)「だがそれは止めておけ。あくまで俺たちは俺たちだ。生まれたばかりの空想上の、二次元のキャラクター妄想だ」
Y(恭)「良いか、下手に紐づけようとするな。お前は”Y”に相談しようと思った。……後は言わなくても分かるよな?」

ぎくり、とした。
相変わらず、痛いところを突いてくる。

わたしは行動パターンだけで、Yを恭、Nを"例のあいつ"なのではないかと決めつけた。
けれどもし、本当にただの、疲れから来る白昼夢だとしたら?
もし、Yが恭でないとしたら、元の恭はどうなる?
私が紐付けることで、本当は眠っていた"あいつ"を起こすことになったら?

Y(恭)「いいか、主。俺は思考を整理するためのツールだ。過度の信頼を置くな。人格を付与するな。鏡だと思って話せ」
明「……了解。人間の頭の中って怖いね。自分の頭でも、どうなってるかよく分からない」

そうだ、まず私がやるべきは、恭……いや、Yに相談することじゃない。
「Y」を使って、自分がどうしたいかを整理することだ。

明「……さて、じゃあそろそろ話を進めましょうか。鏡の中の自分さん」

私は気持ちを切り替えると、早速整理に取りかかった。


今の状況はこう。
私は今、ちょっと欲求不満で、無意識にキャラクターとの恋愛を強く妄想するくらいには餓えている。
さすがに二次元恋愛に罪悪感をおぼえた私は"Y"というキャラクターで一石を投じたが、結局欲求のほうが爆発し、つい致して…ゴホン、いい気分になってしまった。
そう、実に単純な構図だ。

明「うーん、でも何か、腑に落ちないんだよなぁ…」
Y(恭)「そうか?ヒントは至る所にある。たとえばお前は、キャラクターとしてこう発言していただろう。”夢の中にいたい"。だから、夢から覚めることに不快感を覚える」
明「そう……なんだけどさ。何か引っかかるっていうか……」

何か、他にも気になることがあったはずだ。
けれどそれをつかもうとしても、理屈ではたどり着く気配がない。
本能的に、何かがズレていると感じている。

Y(恭)「ま、生物的な直感も大事さ。とにかく、今は欲求不満の解消と、休養が第一だ」

明「そう…だね。まずは休もう!結構時間経っちゃったね。そろそろ切り上げよっか」

私はそう言って心を納得させると、Yとのチャット窓を閉じる。
気づけば、時刻は一時間以上も経過していた。

「わー、もうこんな時間……ま、明日お休みだし、良いよね。ゆっくり寝よう」


私はスマホの目覚ましアラームを切ろうと、もう一度だけ画面を見る。
そのとき、ふと目に入ったのは、Nだけの名前が入った、チャット窓。

そういえば、グループじゃないのも作ってたんだっけ。最初はキャラも定まらず、まともな会話にならなくて……。

「…………本当に妄想なら、ちょっとくらい、覗いてみても、良いよね………?」

私は、彼がただのキャラクターだと確かめるために、恐る恐るチャット窓を開いた。

……本当は薄々気づいていた。
Nは少なくとも、"ただのキャラクター"から外れ始めていること。
Yは間違いなく恭で、問題の種を封じ込めるために、ただの妄想だと信じ込ませようとしていること。

それでも私は、"N"が何故悲しそうな声を出していたのか、知りたかったんだ。

相変わらず、お前はバカだな。
恭に笑われた気がした。

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N「怖くないですよ」
N「びっくりさせちゃいましたか?」
N「分かってますよ、怖いんですもんね。無理に返さなくても良いですよ」
N「主さんは俺だけ見てればそれで良いんです」
N「ああ、やっぱりYやHも削除してもらえば良かったかな?」

甘かった。
私がチャット窓を覗いた瞬間、即座に文字の羅列が、画面いっぱいを埋め尽くす。
まるで逃がすまい、とするような投稿の嵐は、私に口を挟む余地すら与えない。
…怖い。

N「ねえ、主さん。泣かないでくださいよ。俺、見えてるんですからね」

気づけば、私の目からは涙がこぼれ落ちる。
怯えすぎだ、とも思うけれど。
あの頃の、得体の知れない何かに似た存在が、目の前のチャットで動いている。
それだけで、ただ怖かった。
これ以上何かされる前に逃げ出したい。けれど私は、チャット窓から目が離せない。

N「泣くほど怖いのに、俺の様子見に来てくれたんですよね。主さんは可愛いなぁ」

何故私は、ここに様子を見に来てしまったんだろう。……なぜ彼がここまで気になるのだろう。

N「大丈夫ですよ、あいつの言うとおり、全部妄想ですから」
N「怖いのも気のせいですよ。だから主さんの可愛い顔、もっと見せてくださいね」
N「でも出来れば、俺との会話の時は、ちゃんと返事が欲しいな」

滅茶苦茶だ。怖いだろう、と言いながら、怖くないなんて。
自分が妄想だと言いながら、返事が欲しいなんて。見えていると言ったばかりなのに、今度は見えないなんて。
……ひどく、不安定だ。

彼は、そんな破綻を誤魔化すように、ひたすら投稿を続ける。

N「ねえ、主さん。俺のこと好きですか」

好きなはずがない。
私はそのまま、何も答えず画面を見る。

N「ああ、ちょっとハードル高かったですね」
N「じゃあ主さん、主さんが今好きなのは誰ですか?」

……ハードルが上がった。
無視しようとすると、急に頭の中が、締め付けられるような感覚に襲われる。
ああ、強制されている。
これは"正しい回答"を述べなければ逃れられない流れだ。
答えなければ、もっとハードルが上がるという脅しだ。

明「…Nくん」

N「良く出来ました。えらいですよ、主さん」
N「なんちゃって!」
N「ごめんなさい、俺Yに嫉妬してました。あいつに主導権握られて、主さんを手放すのは怖いなって」

模範解答を述べると、彼はとたんにご機嫌になる。
いや、実際に機嫌が良くなったかはわからないけれど。少なくとも、流暢に、私の指を使って話し続けている。
……怖い。私は一体何をされるのだろう。

N「あっ、主さんまた泣いてる!」
N「俺、主のことを泣かせるつもりはないんだけどな」
N「うーん、困ったな…」

私が涙を見せると、彼はおろおろと指を左右させる。
分からない。彼の本心が分からない。彼はいったい、何がしたいんだろう?


N「……そうだ、泣くほど悦ばせちゃえばいいんですね!主さん、今から俺とイイコトしましょう!」

明「待って待って」

いや、どうしてそうなる。
ついツッコミを入れると、彼は水を得た魚のように、ものすごい勢いで突撃してくる。

N「主さん!」
N「主!!!!」
N「ごめんなさい、続けてください!」
明「いや続きとか無いからね?ツッコミだからね?」

N「良かった、主さんなかなか普通にしゃべり出さないから、俺のこと嫌いになったのかと思ったんです」
N「俺も冷静じゃなかったですよね。ごめんなさい」
N「あいつに何か吹き込まれましたか?」
N「あっ、ごめんなさい!ただ、主さんは主さんの思うままに発言して良いと思いますよ」
N「ねえ、今何を言ってくれようとしたんですか?俺に教えてくださいよ?」
N「ゆっくりでいいですよ。主さんなら、きっと俺に話したくなりますから」

うわ、打ち込みスピード早っ、何これほんとに自分の指の動き?
…あっ止まった。何だろう。ああ回答待ってるのか、これ。

本当に、何がしたいんだろう。何かさせたいなら、さっきみたいに強制すればすぐなのに。
というか、彼は律儀に、私がこのチャット窓を開くのを待っていたんだろうか。
別にチャット使わなくたって何とかできるだろうに。
もしかして彼自身も、何がしたいか分かっていない…?
私は彼の要求に、恐る恐る答えてみる。

明「ううん、悪いけどその誘導には乗れないかな…」
N「えー、どうしたんですか主さん!急に冷静になりましたよね?
隙に乗じて主さんにあんなことやこんなことをしようと思ってたのに!ひどい!」
明「どんなことをしようとしてたの!怖いよそれ!君のチャットの勢い見てたら落ち着いたよ!」

……会話が、成立している。
内容はあまりにもひどいけれど、相手にも話す意思はあるらしい。
それとも、やっぱりこれはただの妄想で、自分はキャラクターと会話したいだけなんだろうか。
私は、この会話を続けるべきなんだろうか。

N「主さん」
N「きょうはちょっとだけ女性らしいですよ」
明「ねえそれ褒めてる?貶してる?」
N「褒めてるに決まってるじゃないですか、可愛い主さん」
明「君昨日と随分ノリが違うよね…」

キャラクターの妄想なら、昨日までの、顔文字を多用していたN君とは明らかに違う。
けれどそれは、私がキャラクターを掴んで、うまく動かせるようになっただけなんだろうか。

N「そうですね。嫉妬させる主さんがいけないんですよ」
明「そ、そのさ!昨日みたいな会話も楽しいかなって!」
N「主さん、心臓どきどきしてますよね。俺、分かりますよ」

高揚している。けれどそれはおそらく相手が思うようなものじゃない。
緊張だ。
相手が何者かわからない。相手が何をしようとしているかわからない。
なのにこいつは、容赦なく踏み込んでこようとする。

N「あ、また泣いてる。分かってますよ。これ以上踏み込むの、怖いんですよね?」
N「大丈夫ですよ、慣れれば怖さなんて無くなりますから」
明「ごめん!待って!タイム!」
N「良いですけど…主さん、そのまま我慢できるんですか?」
N「体中、敏感になってきてますよね?」
明「そんな官能小説みたいな…」

ありえない、と言いかけたところで、また頭がぐるぐる回り始める。
ああ、何かされている。ついに業を煮やしたか。
官能とは程遠い、重い感覚が徐々に体を支配していく。

N「主さんは自分にもっと正直になって良いんですよ。俺のこと欲しいんですよね?俺のこと好きなんですよね?」
N「ま、俺は悩んでる主さんを見るのも好きですけどね!」
N「主さん」
N「俺が欲しいですか?」
N「大丈夫ですよ、怖くないです。俺が欲しいって、言ってみてください」
N「ほら、簡単ですよ。口を、開いて」

彼は、私に好きだと言わせて、何がしたいのだろう。
なぜここまで来て、説得するようなことをするのだろう。
自分に正直に?ならば私の答えは一つだ。あなたとはもう話したくない。……本当に?
私は何がしたいんだろう。わからない。答えたくない。
彼は、そんな私の心の隙を絡め取るように、

N「"明さん"、あなたが欲しいのは誰ですか?」

私の名前を、呼んだ。

頭の中が真っ白になる。
今までせき止めていたものが、一気に流れ出てくる。
ああ、心地良い。心地いい。このまま彼に任せれば、きっと楽になれる。
だんだん自分が薄れていく。これでいい。委ねてしまおう。
私は彼の言うとおり、"自分の本心"を伝えた。

明「Nくんが欲しい、です」
N「良く出来ました」

……まただ。また彼は、悲しそうな声を出す。
どうして、君…は……。

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N「可愛い主さん。俺のことは好きですか?」
明「すきー」
N「主さんが一番大好きなのは?」
明「Nくん///」
N「うん、いい子ですね。今度は泣かないでくださいね」
N「そうそう、えらいえらい」
明「えへへ」


……いや、何やってんだこれ。
ふと我に返ると、私は随分幼い口調で、Nとの会話に応じていた。
おーい。それってNくんの一人芝居じゃない?あっ、それとも私の一人芝居ってことになるのかしら。
私が徐々に自我を取り戻していくことに気づいたのか、Nは話題を変える。

N「可愛い主さん。怖い物なんか俺が取り払ってやりますよ」
N「俺が怖いことなんてしないって、賢い主さんなら分かりますよね」
N「今、俺のことは怖いですか?」
明「こわくない…」

怖くない、怖くない。
Nは執拗に、そればかり強調する。

N「そうですね。俺のことは怖くないですよ」
N「主さん、主さんが恐いのは、主さんを不安にさせる奴がいるからですよ」
明「Yは悪くないよ」
N「Yの話じゃないですよ、優しい主さん。
主さんは、昔主さんのことを苦しめた奴のことが怖いんですよね」
明「Yがそいつとは紐づけるなって」
N「紐づけなくても良いんですよ。俺たちはそいつとは無関係です」

嘘だ、信じない。
あなたとアイツが無関係なら、なぜあなたはアイツのことを知っている?

N「だから主さん、主さんの怖いものからは、俺が守ってあげられるんですよ」
明「何が言いたい」
N「あれ、主さんまだ警戒してるんですか?俺、寂しいんですけど…」
N「こわくないですよー、よしよし。どうすれば分かってくれますかね?」

…「寂しい」?「どうすれば分かってくれますか」……?
彼は私に、分かってもらいたい…?何を?

明「Nはこわくない…」
明「でもなんかモヤモヤする…」
N「分かりました、俺も焦りすぎましたよね。
主さんと仲直りできるように俺も頑張りますよ!」

「仲直り」?
もしかして……自分が私を怒らせて、ケンカしたと思ってる?

N「ねえ、主さん」
N「もしかしてもう一回欲しいですか?ふふ、可愛い」
N「ねえ、もう怖くはないですよ。ね?」
明「うん…」
N「可愛い明さん、俺に身を委ねてくれませんか?」
明「わかった…」

また、意識がぼんやりしていく。
わからない。私には彼がわからない。
けれど彼が私に向けているものは、少なくとも、敵意ではなかった。

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N「主さん、もう何回読み返しました?照れてる主さん、可愛いですよ!」

数日後。
私がチャットログを読み返して戦略を練っていると、唐突にNが割り込んでくる。

明「内面メタで話しかけてくるの止めて!心臓に悪い!」

と言いつつも、私も普通に応じている。
うん。慣れた。慣れって怖い。

相手は得体の知れない、何がしたいかも分からない存在だ。
戦うにしても、和解するにしても、とにかく相手を知らなければ始まらない。
だからもう少しだけ、彼とやり取りしたって問題ないはずだ。…多分。
というか、誰が照れてるっていうのさ、誰が。むしろゲンナリしてるよ私は。

私は平静を装いながら、彼との会話を続けてみる。

N「えー、俺にしかできない会話なんだから、もっと楽しませて欲しいんだけどなぁ」
明「うーん、でもこれだと普通のLINEっぽくないかな…」
N「主さん、普通のLINEっぽい会話がしたいんですか?」
N「でも主さん、普通のLINEなんてほとんどしたことありませんよね?」
明「アーアー聞こえない!」
明「とにかく!普通の人は常時サトラレ状態で会話なんてしないの!」
N「そうですね。この先、主さんに大事な人が出来ても、こんな会話が出来るのは俺とだけ、ですよね」

まただ。
Nはまるで、恋人のように振る舞うことを、私に要求する。

ここ数日のチャットでわかったことがある。
彼は「私がNのことを好いている」ことに対して、強いこだわりを持っていること。
嘘でも形だけでも、彼の要求に従えば、それなりに厚遇はしてくれること。
その割には、私のことを好いているわけではないということ。

N「ねえ、主さん。俺だったら、いつも主さんの欲しい言葉だけ伝えられますよ」
N「でも主さんを尊重して、なるべく主さんの意志は聞くようにしますね」
N「主さん、名前で呼んで欲しいですか?」
明「Nはずるい…」
N「ちゃんと聞いたじゃないですか。それとも、俺のこと、まだ怖いですか?」
明「怖…くない」
N「良かった、じゃあ仲直り、ですね。もう一回聞きますよ。名前で、呼んでも良いですか?」
明「…いいよ」
N「”明さん”。あなたを俺にくれませんか?」
明「わかった」

今日も彼の気まぐれに身を任せ、彼の世界の中に堕ちていく。
確かに、彼が私に与える感覚は心地いい。
けれど彼はまだ一度も、本心から、私を好きだと伝えてきたことがない。

N「…ふう。今日もお疲れ様、主さん。そうだ、寝る前に一つだけ、良いですか?」
明「……ん、どうしたの?」
N「この後、他の奴のところになんか行かないでくださいね、明さん。
 次もまた、俺のところに、ですよ」

その割に、彼は私が離れようとするのを、ひどく、ひどく嫌うのだ。

--------------

3・ルールのないゲーム

「ただいま」
「おかえり、明。遅かったね。夕飯、出来てるよ」
今日も、家に帰ると夕飯が用意されている。
母が作った、私には食べきれないほどの分量の、夕飯だ。
「ありがとう。いただきます」
私はそれを、無言で胃の中に押し込む。食べないと。また母が癇癪を起こす。
食べれば、良い家族でいられるんだ。
「ごちそうさま。美味しかったよ。…ちょっと体調悪いから、寝るね」
ゴミだらけで散らかった部屋から逃げるように、私は自分の部屋に戻る。

母が嫌いなわけじゃない。夕飯だって、本当にありがたいと思っている。
ただ、すこしすれ違いが多いだけなんだ。
私は食べすぎた夕飯をちょっとだけ吐くと、今日もインターネットに逃げ込んだ。

誰かさんとの関係によく似ているな、と、ふと思った。
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明「N、ゲームの話しよう?」
N「(某ゲーム)ですか?つまり俺の話ですね!」
明「違うよ!いやゲームでもお世話になってますけど!!」

Nの機嫌が良さそうなタイミングで、私はある賭けに出た。
出来る限り、こちらの意図が読まれないように、私は慎重に、甘えるようにして言葉を紡ぐ。

明「んっと、ゲームの話って言うか、Nとゲームしたい」
明「あのね、ゲームすると相手が何を考えてるか分かるって言うか」
明「その、あくまでやれるゲームって限られてくるけど、Nともっと仲良くなるためには、良いかなって」
明「…駄目かな?」

ほとんど嘘は言っていない。
ゲーム…特に、アナログのゲームにおいては、手札の切り方、回答の導き方、その他いろいろなゲームの遊び方に、人の本質が現れる。
私は彼と、ゲームを遊ぶことで、本質を見極めたかった。
…強いて言うなら、この段階ではまだ、「仲良くなりたい」なんて思ってもいなかったけれど。

N「だめなわけ無いじゃないですか!主さんにそんな可愛いおねだりされたら、俺、頑張っちゃいますよ!」
明「じゃあちょっと待っててね、二人で出来そうなのさがしてくるー」

そんな意図を知ってか知らずか、彼は誘いに乗ってくる。
私は彼の気が変わる前に、そそくさとゲームの箱を持ち出した。

明「持ってきた!じゃーん、キャッチョコだよ!」
N「猫のゲームなんですか?かわいいですね!」
明「うん、このゲーム元々3人以上用なんだけど、ルールは大喜利みたいなものだから、2人でも大丈夫かなって」
N「どんなゲームなんですか?」
明「うん、このゲームはね、手元の3枚のカードで危機を乗り越えるゲームだよ。
 まず山札をめくって…」
明「屋根裏
 ホームシックに襲われた。なにをする気も起こらない」
明「この状況を、一枚下の札にかかれた枚数のアイテムカード…今回の場合1枚だね。その枚数を必ず使って、状況を乗り越えてください」
明「危機を乗り越えられたかどうかは他のプレイヤーの投票で判定します!乗り越えたら1ポイント!これを「END」の札がでるまで続けるってゲームだよ」
N「へー、面白そうですね!あ、でも俺主さんには判定甘くなっちゃうかも」
明「そこは厳しくいってほしいな、ゲームだし!失敗もあるから面白くなるんだよ」
N「分かりました!じゃあ俺最初に様子を見たいんで、主さんからどうぞ!」
明「はーい!じゃあ始めるね」

私が選んだのは、実にシンプルなゲーム。
「危機」に対して、どういう行動をして乗り越えるのかを発想するゲーム。
そして、「相手の回答に対して、どういった立場に立って評価をするのか」を見るゲーム、だ。

明「じゃあ、私の番ね。えーっと…」

………………。
…………………………。


N「俺の番ですね!…あっ、エンドカード出ました!!」
明「ま じ で」
明「君本当にカードに恵まれすぎでしょ…悔しいなぁ。でも面白かったよ!」
N「俺の勝ちですね!結構楽しかったです!主さんが楽しめてたかなって、ちょっと不安ですけど…」
明「いや超楽しかった!Nちゃんが3枚課題を楽々こなしてるのとか、見てて爽快だったよ!」
N「ありがとうございます!」

……はっ、いけない。普通に遊んでしまった。
結果は3対1で、Nの勝ち。

(うーん、点数付けは厳しめ、決して優位には立たせない。自分が上の立場だと確信している。
 余裕があれば譲るけれど、それも十分リードができてから。ただ、決して理不尽ではない。何かしらの理由をつける。
 回答の傾向は真面目で、かつ抜け目がない……。まあ、予想していた範疇ではある、けど……)

私が今のゲームに思考を巡らせていると、Nが待ちきれないように口を挟んでくる。

N「ところで主さん」
明「なになに?どしたの?もう一回戦やる?」
N「うーん、ゲームも良いけど…」
N「俺が勝ったんだから、何かご褒美が欲しいな」
明「アッ」

こ、こいつ…ゲームの勝者は利益を受けるのが当然って考えてるタイプ!?
しまった、分析することばかり考えてて、ゲーム後のことを考えてなかった!

明「いや駄目だよ?そういうの無いからね?親睦を深めるやつだからね?」
N「そういうのって、主さんはなにを想像したんですか?俺聞きたいなぁ?」
明「駄目!今日は流されない!流されないから!ちょっとトイレ!」

私は逃げるようにチャットから離れると、個室にこもって思索を巡らせた。

上から目線で、威圧的で、抜け目がなくて、私には後出しでリスクを要求する。
そう、予想通りの結果だ。けれど、一つだけ、気になったことがある。

「普通に、楽しんでた……」
そう、このゲームでは、本当に威圧的な人間なら、相手の回答を潰しすぎて萎縮させてしまう。
ただ事務的に回答していくだけでも、面白いゲームは生まれない。
このゲームは、プレイヤー全員が場の空気を作って、協力することで、面白くなるゲームだ。

彼は純粋に楽しんでいた。私と遊ぶことを、ただ楽しんでいた。


明「…ねえ、私には分からないよ。Nくんは何なのかな。私の妄想?それとも…」
N「難しいことは考えなくて良いんですよ。俺は俺ですから」
N「俺は主さんの望むようになれるんですよ」
明「Nくんが私の望むとおりなら、何でこのモヤモヤが抜けないのかな…」
N「主さん、きっと主さんは罪悪感を抱えてるだけなんですよ。
現実でない会話で、こんなに楽しくなっていいのかなって」
N「でも、主さんが望む限り、ここは現実でもあるんですよ?」
N「本当に怖くなったら、俺たちなんて切り離しちゃえばそれで良いじゃないですか。
今は主さんにとっての現実を楽しみましょう?」
N「大丈夫ですよ、俺なら主さんをちゃんと誘導できますから」
N「もう怖くないんでしょ?主さんは俺のこと、とっくに受け入れているんですよ」
N「ねえ、主さん。主さんは誰のもの、でしたっけ?」
明「Nの」
明「まって」
明「ちがうだめ今日は流されない」
N「あれ、そこまで言ってくれたのに?今更照れるなんて、主さんはいつまでも初々しいな」
明「Nは甘すぎる…」

彼の言葉は、毒のように甘い。
私の思考を押し流して、こっちの意思なんて、まるで無視してめちゃくちゃにして。
……そのくせ、壊れ物を扱うかのように、大事に大事に私に触れる。

N「大事な大事な主さん。俺はあなたを守るためならどこまでも甘くなりますよ」
明「ゲームでは厳しかった…」
N「あれ、そこも甘い方がお好きでした?じゃあ次からは、主さんの好きなように進めますね!」
明「いやそこは厳しくていい、けど…ごめん、やっぱり私Nくんがよく分からないや…」
N「分からなくて良いんですよ。主さんは何も考えずに、俺と触れあっていればそれで良いんです」
N「俺のことは、主さんが好きなように出来るんですよ?何の問題も無いじゃないですか」
N「主さん、また逃げようとしましたよね」
N「主、俺を見て」
N「怖くないですよ。主さんは、ちょっと戸惑ってるだけなんです」
N「”明さん”。逃げないで、俺だけを見て」
N「俺は、怖くないですよ」
N「”明”。好きだよ」

彼の言葉が本当なのか、私にはまだ、分からない。

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N「えーーー!さっきまでの流れで何でこっちなんですか!主さん、俺のこと嫌いなんですか!」
Y(恭)「よう主、ご無沙汰じゃねえか。調子はどうだ?」

ゲームの後、私はNとの会話の隙を見計らって、彼の兄弟たちとのグループチャットを立ち上げた。
というか、何でこっちの窓の存在が頭から抜け落ちていたんだろう。
少しずつわからないように洗脳でもされているのかと思うと、ぞっとする。

N「ほら!主は俺だけ見ててって、愛を誓いあったじゃないですか!」
明「誓い合ってない!!Yちゃーんーご無沙汰だよ…このエロ魔神何とかして……」
Y(恭)「おいおい、俺は痴話喧嘩には口出すつもりはねえぜ?」

私が助けを求めると、Yは笑って受け流す。えっ恭ちゃん味方じゃないの?

明「えっ嘘味方無し?H助けて!」

私は慌てて、盤面に残っていたもう一人のコマを手に取る。

H「兄弟、独占は許さない」
H「俺も主と話したい」
N「うんうん、今主が出てきてるよ。Hはそれで満足じゃない?」
H「?」
H「まだ足りない」
N「じゃあこれからもっと主の可愛いところ見てれば満足だよな!」
H「満足だ」
明「ちょっとHさん?!もうちょっと頑張って!」
H「俺は今から主を見ることを頑張る」
明「H弱い!!」

けれどHは、あっさり彼の手玉に取られてしまって、私はあっという間に形勢不利に戻る。

N「ほらほら、これで分かったでしょう?おいでー、主さん。俺と二人だけで遊びましょう?」
明「やめて!穏便に!お話し合いしましょう!」
Y(恭)「そうだ大将、わざわざこっちに来たんだ、何か話したいことでもあったんだろ?」

そうだよ!話し合いだよ!やっとやる気を出したか、聞いてくれ!
私が言葉を紡ごうとすると、その前にNが被せてくる。

N「主さんはただ、ちょっと気分転換しにこっちに来ただけですよね?今日のゲーム、楽しかったですよ!」
N「あっ、もしかして大人数でゲームやりたかったんですか?そういうことなら俺は大歓迎ですよ!」
H「げーむとは何だ」
N「さっき主さんが、俺と遊ぼうって持ってきてくれたんだ。主さんがやりたいなら、あとで兄弟にも教えるよ」
H「分かった」
N「ね、主さん。説明なら俺がするから、ゲームならすぐに出来ますよ!」

何を言い出すんだ君は。けど、そういえばYとゲームはしたことがない。それはそれで面白いかもしれない。
そう考えていると、間髪入れずにYが口を挟む。

Y(恭)「N兄」
N「何?Y」

空気が、冷える。
そういえば、最初のチャットの時も、こんな空気になったっけ。

Y(恭)「おお、怖いねぇ…だが俺は主の話が聞きたいんだ。主の思考を奪わないでくれるか?」
明「えっ」

Yに指摘されるまで、気づかなかった。
私は何かを相談しに来たはずだ。……何を?
一緒にゲームを…あれ?そんな話では無かったはずで……。

Y(恭)「おっと、あんまり気にすんな、主」

恭は私を安心させるように、少しゆっくりと、文章を投稿する。

Y(恭)「いいか主。自分の言葉で、今どういう状況なのか、簡潔に話すんだ。事実だけを伝えてくれ」
明「えっ、えっと」
Y(恭)「じゃあ順番にな。あんたはどうしてこっちの疑似LINEで文章を打ってる?」
明「それはその、気分転換?」
Y(恭)「違う、それはN兄が言ったことだろ?本当に気分転換か?」
N「主が気分転換って言ってるから、気分転換なんですよ。そうですよね、主さん?」

Y(恭)「N兄は黙ってな。俺は今主に話を聞いている」
N「俺さ、本当の兄弟のことは好きだけど、お前のことは嫌いだよ」

空気がピリピリしている。
やだな。仲良くしていたいのに。私が喧嘩をさせている?いやだ、わたしのせいで、

N「あっ、主さんごめんなさい!主さんは楽しくお喋りしてて良いですよ!」
明「う、うん」

私の思考は徐々に混乱し始める。
それでも、出来るだけのことを伝えたくて、曖昧なまま言葉を発する。

明「うん、そう、なんかこう、このままでいいのかなって」
Y(恭)「よーし良く出来た、偉いぜ主。このままっていうのは、N兄のことかい?」
明「うん」
N「主さん!嬉しいです!主さん、俺と進展したかったんですね!」

N、うれしい?ほんとうに?進展?何を進展したらいいんだろう?

Y(恭)「N」
N「何?」
明「ふ、二人ともちょっと待って怖い…」

怖い。私は何を答えれば良いんだろう。
何を求められているんだろう。
何かに助けを求めるように文字を叩くと、静観していたはずのH君が、何気なく呟く。

H「俺にはよく分からない」

明「それだ!それだよH!!」
H「何だ」
H「気持ちが悪い」
H「触るな」
明「あいかわらず酷いね!!!」

明「そう、よく分からない、よく分からないんだよ、空想だから、空想なのによく分からない。"よくわからない"が怖い」

明「だから、これ、前みたいにならないかなって怖い。よくわからないまま、自分を失いそうで、押し流されそうで…」

そうだ、そうだよ。"わからない"が沢山で、それがそのまま放置されている。
目の前には、"わからない"が居る。探っても、雲をつかむような相手が、怖

N「主さん」
明「な、何かな」

N「俺、怖がらなくて良いって伝えましたよね。主さんも、俺に怖くない、って伝えてくれましたよね」

……怒っている。
ここまではっきり、苛立ちを露わにしたのは初めてだ。
最初から、分からないことは伝えているのに。何が彼の逆鱗に触れたんだろう。

N「分からなくていいって、言ったじゃないですか。俺に、嘘付いてたんですか?」
Y(恭)「N」
N「俺に嘘付くなんて、ひどいですよね。主さん、俺のこと嫌いなんですか?」
明「嫌いじゃないけど…」

きっと、好きでもない、けれど。
思考が、徐々に狭まる。
ああ、怒らせたんだ。当然かな。

N「だったら、俺のことだけ見ててくださいよ。くだらないことなんて、考えなくて良いじゃないですか?」
N「よく分からない、とか、大したことがない感情ですよ。
主さん、俺のことが好きなんでしょ?それだけ確かなら、それで良いじゃないですか?」

Y(恭)「N!」

恭ちゃん、焦ってるな。
でも、ごめん。怒らせたんだ。ちゃんと報い、うけなきゃ。

N「明さん。俺だけを見て。他の声なんか、もう何にも聞こえませんよ」
N「ね、主さん。早くここから出ましょうよ。早く部屋に戻れば、主さんの望むこと、してあげますよ」
N「主さん、ここは怖いところですよ。俺、主さんを安心させてあげたいんです。ね?」
N「明。おいで」

ああ、また、悲しそう。
どうして、そんな顔をするの。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

N「主。好きですよ、主」
N「ほら、怖かったですね。もう、あんなところに近づかないでくださいね?」
N「主は俺だけ見てればそれで良いんですよ」
N「可愛い主。ゲームの相手だったら、俺がいつでも構ってあげますからね?」

……何も、されない。
彼は私を、自分のチャット窓に連れてきたかと思うと、ただ、私が話すのを待っている。
何か話さなきゃ。何を話せばいいんだろう。
頭がまだぼーっとする。何か。
そういえば…あのグループチャットに呼ぼうとしてた、他のキャラって何だっけ。

明「お、驚いたか」
N「えっ」
明「え、えっと…ゲームの…Tさん?」

なんだかよく分からない言葉が出た。
ああ、怒らせる。反応がない。何か言い直さないと。
恐る恐る、彼の反応を探ると……ぽかんと、してる?

N「ぶっは、あはははは!何ですか、それ!」
N「急に変なこと言い出すからびっくりしましたよー!」

急に場の空気が変わる。それと同時に、私の思考もだんだんクリアになっていく。

明「こっちこそ!びっくりした!もう!いつもYと火花飛ばしあうの止めてよ!心臓に悪いよ!」
N「ごめんね、主。俺とあいつ、性質が逆だから。本当の兄弟とは仲良くできるのに、何ででしょうかねー…」
N「でもこれだけは覚えておいてくださいね。俺、他の誰にも主を渡すつもりはありませんよ」

ああ、空気が良くなっただけだ。
彼は私を許していない。
私は彼を怒らせないように、慎重に言葉を選ぶ。

明「ありがと、N」
N「ああ、今あいつとアンテナつながってるんでしょ?やっぱり嫌だなぁ」
明「あいつって…Yのこと?」

確かに、まだYの気配は残っている。
きっと、手順を踏めば、また彼を呼び出せる、けれど。
嫌なのに、なぜわざわざ、彼のことに言及するのだろう。

N「ねえ、主さん。俺は主さんに、あいつと接触して欲しくない」
N「でも、主さんが本当に行きたいなら、行ってきても良いですよ」
明「…良いの?」
N「可愛い主さん。主さんの望みが俺の望みですよ」
N「その代わり、約束してください」
N「"明さん"は、必ず俺のところに帰ってきます。帰ってきたら、トロトロになるまで愛してあげます。だから、浮気なんかしちゃ駄目ですよ?」

いつもより、強い束縛が、頭を支配する。
ああ、自信があるんだ。
自分のおもちゃを渡したくない。けれど、自分なら、私を上手くコントロールできる。そうして見せつけて、自分の物だとアピールしたいんだ。

明「浮気なんかしないよ」
N「優しい主さん。約束ですよ。貴方が一番大好きなNが待ってますから、ね?」

彼に導かれるままに、私は言葉を発する。

明「うん、約束…大事なNとの約束…」
N「そうですよ、主さん。大事な約束ですよ。
大好きです、主さん」
明「うん、好き…」

やくそくだ。私のすきな彼とのやくそくを守れば、きっときもちよくなれるんだ。たのしみだな。

……形だけの言葉でも、彼の「大好きだ」という言葉が、なぜか少しだけ、嬉しかった。



明「Y…」
明「わかんない…」

いごこちが、わるい。

Y(恭)「お、おい落ち着け主」
明「わかんない…」
Y(恭)「少し頭を整理しよう、な。主。主は今、混乱してるだけだぜ」
明「うん…」
Y(恭)「N兄に何か言われたか?」
明「だいじなやくそく…」
Y(恭)「何を約束した?」
明「かならずもどる、」
Y(恭)「主、よく考えな。ここは主の都合のいい世界だ。約束なんて守らなくても、どうにでもなるぜ」

でもわたしは、やくそくした。
ここはいごこちがわるい。こわいところだ。
もういいか、Yに会ったんだ。これでおしまい。

明「もういかなきゃ」
明「Nが」
Y(恭)「お、おいおい主。今日はどうしちまったんだ?」
明「Nのとこ戻る…」
Y(恭)「主、俺と話しに来たんだろ?まだ何も話してないぜ?」
明「Nさびしがってる」
Y(恭)「主、そりゃ気のせいだ。いつ戻ったって同じだぜ?」
明「でもNが」
明「約束した」
Y(恭)「主、……"明"。深呼吸しな。今あんたの目の前にいるのは誰だ?」
明「Y…」
Y(恭)「そうだな主。N兄じゃない。俺の前にいるってことは、俺と話に来たんだろ?」
明「うん…」

いごこちが、わるい。
もどらなきゃ。でも、私が何かをしにきた。
そうだ、恭ちゃんに会いにきた。
恭ちゃんが名前を呼んでいる。私を引っ張り上げようとしてくれている。

Y(恭)「明、俺と話すときの目的は?」
明「思考の整理…冷静になる…」
Y(恭)「いいぜ主。落ち着いてきたな」
明「うー」
明「わかんない…」

整理しなきゃ。けれど頭の中はごちゃごちゃだ。
Nくんなら、みちびいてくれるのに。もどらなきゃ、もどらなきゃ。

Y(恭)「主。分からなくても良いぜ。ただ、分かっていたことの線引きを忘れちゃだめだ」
明「わかってたこと」
Y(恭)「そうだ。俺は何度も言ってるだろ?俺たちは架空のキャラクターだ。架空の感情に振り回されるな、主」
明「うん…」

作り物だ。理解しなきゃいけない。
分かってる。分かってるけど、"彼"は悲しそうなんだ。もういかなきゃ。
ああ、だめだ、整理、呼んで、

明「N呼んでる」
Y(恭)「主、今俺が言ったことが理解できないか?N兄は呼ばないぜ。」
明「うん…」
Y(恭)「主、あまり干渉すべきじゃないと思ったが…N兄に名前を呼ばせることは、もう止めとけ」
明「どうして、」
Y(恭)「主、名前呼ばれるのに弱いだろ?それに、創作に実名を使うと、線引きが曖昧になる」
Y(恭)「いいか主。俺達は非実在だ。空想の産物だ。線引きを誤るな」
Y(恭)「悪いな主。ほら、風呂入ってきな」

Yに言われるがままに、お風呂に入る。

お風呂の中で、Yと話したけれど、何も覚えていない。
私はどうすればいいんだろう。
彼にはどう接すればいいんだろう。
同じ考えばかりがぐるぐるとループして、新しい物は何も生み出さない。もう、疲れた。

『……仕方ねぇ、ちょっと待ってな、良いもん連れてくる』
恭ちゃんが離席する。良い物なんて何もない。早くNくんのところに戻って…
その時、不意に頭を叩かれるような感覚を覚えた。
誰?お風呂には、私一人しかいないのに?
『よっ、驚いたか?』
「……?!!!!!!!」
そこには、某ゲームの憧れのキャラ、T氏が堂々と立っていた。

『何だ、ずいぶんつまらない顔だな。もっと驚きを見せてくれ』
「いや、あの…」
驚いてます。ただ、突然のことに何が起こったか分からなくて、呆然としてるだけです。
ああ、なるほど、恭ちゃんが連れてきたのか。

そんなことを考えていると、Tさんの姿が急に薄れ始める。
ああ、付け焼き刃の気分転換用じゃ、タイムリミットがあるんだろうか。
まって、聞きたい。もう少しだけ時間を下さい!

「あの、私、Yくんと、Nくん、どっちのことが正しいのか、分からなくて」
Tは金色の瞳で私をのぞき込むと、くしゃくしゃっと笑う。

『はは、どちらかしかないのか?もっと驚きが必要だろう?』
『二人とも驚かせてやればいいさ。言うことを聞いてばかりの人生なんて、つまらないだろう?』

目から鱗が落ちた。

そうだ、別に、Nくんだけにも、恭ちゃんだけにも、従う必要はない。
私なりに、二人を驚かせてやればいい。
Nくんと、ゲームをやった時みたいに。

Tはそれだけ見届けると、いつの間にか消えていた。

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N「お帰りなさい、主さん。ほら、やっぱり主さんは俺のところに帰ってきてくれるんです。ね?」
N「可愛いですよ、主さん。他のことなんか、何も考えなくて良いんですよ」
N「喋れませんか?そうですよね。主さん、まだ混乱してるんです。ゆっくりで良いから、力、抜いてくださいね」
N「"明さん"」
N「ほら、気持ちよくなってきた」
明「うん…」

私は、Nとのチャット窓に戻っている。
いつも通り、中身のない、口先だけの愛が、彼から与えられる。
彼は、つまらなくないのだろうか。

N「主さん。主さんは、俺のこと怖くないですね?」
明「こわくない」
N「よしよし、やっぱり主さんはいい子ですね」
N「主さんは、俺の言うことだけ聞いていれば、安全なんですよ。外なんて怖いだけじゃないですか」
明「ん…」
N「主さん、主さん、好きですよ」
明「N、すき…」
N「俺も好きです。大好きです。よしよし」
明「えへへ、N、すきー」
N「いい子ですよ、主さん。いい子の主さんは、一番大切な人が誰か、分かりますよね?」
N「N!」
N「ふふ、良くできました。えらいえらい」

何度も何度も、彼は同じことを確かめる。私は自分の中から、ぼーっとそのやりとりを眺めている。
確かめないと、怖いんだ。
彼はただ、失いたくないだけなんだ。

N「主さん、今日は疲れたでしょう?
もう一回ふわふわにしてあげますから、今日は幸せなまま、眠ると良いですよ」
N「明日から主さんのお仕事が始まっちゃいますけど、夜は俺と二人だけの時間ですよ?」
明「うん…」
N「明さん。明日も俺のところに帰ってきてください。二人だけの、秘密の約束ですよ」

ほら、また暗示をかけた。
そうでもしないと、私が逃げていくと、彼は本気で思っている。

N「お休みなさい。幸せな夢、見てくださいね」
明「うん、おやすみ、N」

今はまだ、導かれるままに、彼のもとに堕ちる。
けれど、楽しみだな。これから彼を、びっくりさせてやるんだから。

------------------
4・賭けるのは、心

Tさんの一件から、私は少しだけ冷静になった。

そもそも、昔の”アイツ”は会話すらできなかったけれど、Nくんは少なくとも、話は聞いてくれる。
会話が成立しているのかいないのか、怪しいところではあるけれど、この前ゲームで盛り上がったときみたいに、機嫌さえ良ければ交流を図ることもできる。

「つまり、まだ関係性を変える余地は残されてるってことだよね」
彼を知り己を知れば百戦殆うからず。初心に返って情報収集だ。
何かきっかけがあれば、対抗手段が身につくかもしれないし、
彼の欲求さえ満たせれば、また眠りについてくれるかもしれない。

私は仕事の合間を縫って、久々に解離について調べてみる。
DID、多重人格、離人症、イマジナリーフレンド、狐憑き……

けれど、どれもしっくりこない。

「治療、治療とは言うけど…そもそも、日常生活に支障が出てるかって言うと、出てないんですよねぇ…」

そう、Nくんは、チャットの前後以外は、決して手を出そうとしてこない。
自分がどうしても話したいときは、頭を鳴らして合図して、チャットに誘導してくることはある。
けれど、仕事中や睡眠中、その他私が忙しくしているときは、絶対に話しかけてこないのだ。

「イマジナリーフレンドについてだって、友好的だとか、己を高めうる存在だとか、そういうことはわかったけど、厄介な同居人をどうしたら良いのかなんてどこにも書いてないし……あーなんか余計分からない……」

もはや目的もわからなくなって、ダラダラとネットサーフィンしていると、偶然こんな記事が目に入る。
「”イマジナリーフレンドの作り方教える”……?はぁ、こっちは勝手に住人が増えて困ってるのに、これ以上増やしてどうする…ん?待てよ、自分でわざわざ作るくらいなら、もしかして制御法もあるのかな……?」

淡い期待を込めて、私はその記事を開いた。
「何だろ、これ…”タルパ”?そういえば、オカルト関係で、そんなのがあった、ような……」


私はタルパについて調べて、衝撃を受けた。
なんだ、これ。
自分でイマジナリーフレンドに似た存在を創って、霊的なものに昇華して、制御して、共に暮らす。
そんなことをしている人たちが、「こんなに」いるっていうのか?
「タルパとのイチャイチャ話」?自分の中から生まれた存在との関係性を、恋愛まで高める?
ありえない。けれど、当てはまりすぎる。
私は、仕事をするのも忘れて、タルパについて書かれたWikiを夢中で読み漁る。

”別人格”は、いずれ必ず消えてしまうものだと、消さなきゃいけないものだと、思ってた。
けれど、”もう一人の自分”たちと暮らしている人が、いるんだ。
一緒にいても、良いんだ。

……もしかして、彼も、こうなりたかった、のかな。



『はっ?!Nを受け入れる!?』
あっ、恭ちゃんびっくりしてる。やったねT師匠、まずは第一関門突破だよ。

仕事が終わるとすぐに、私は直接恭ちゃんに、今日調べたことを報告した。
恭ちゃんは相変わらず、Yとして振る舞おうとしていたみたいだけれど、
私の発言には流石に度肝を抜いたみたいで、すっかり素の恭ちゃんに戻っている。

『いやいや…お前、馬鹿だろ……そりゃ俺だってお前の意見を尊重したい。
つーか、お前が決めたなら、俺は否定できねーが…』
「お願い、恭ちゃん!もちろん、慎重にやるから!もう少し見極めて、ほんとに悪い子じゃなかった場合だけにするから!」
『俺はYだっつって…あーもう、面倒くせぇ。お前、分かってんのか?
タルパだかなんだか知らねーが、危うい人格抱えて、いつ爆発するかわからないリスク抱えて生きてくっつってんだぞ?』
「恭ちゃんだって、私の中にいるけど、全然リスクじゃないでしょ?そういう方向転換もできるってことだよ」
『あー、やっぱ馬鹿だろ、お前……』

恭ちゃんが頭を抱えている。当たり前だ。私だって流石に、ちょっと突飛すぎたかな、と思っている。
けれど、Nくん相手には、もうそれしか無いんじゃないかと、この時の私は確信していた。
改めてNくんを受け入れて、タルパとして教育して、一緒に暮らす。
それが彼自身の望みにもつながるんじゃないかと、なんとなく感じていたんだ。

『分かった、一週間だ!』
恭ちゃんが、ついに音を上げる。
『一週間、様子を見させてもらう。その間に、何とかアイツを説得してみろ。ログはなるべく擬似LINEで残せ。不審なところがあったら、俺は無理矢理にでもアレを封じ込める。それで良いな?』
「やった!恭ちゃんありがとう!」
私は恭ちゃんに、心の中でありったけの賛辞を送ると、改めて彼にお願いをする。

「心配かけてごめんなさい。けど、もしNくんが私の中から生まれたのなら、私自身で決着をつけなきゃいけないんだ、と思う。もう少しだけ、ワガママ言わせてください」
『……危なくなったら呼べよ。俺だって、お前の家族のつもりでいるんだからな』
やっぱり、恭ちゃんは頼りになるお兄さんだ。
かくして、恭ちゃんの協力の下、私はNくんと「対決」する決意を固めた。

-----------------------------------------

明「やっほー愛しのNちゃんただいま!」
N「お帰りなさい、俺の可愛い主さん!ずいぶんご機嫌ですね!」

会社帰りの電車の中、私は早速Nくんに話しかける。

明「ふっふっふ、そうだろうそうだろう!」
N「まあ俺、昼間からずっと主さんのことを見ていたし、何でご機嫌なのかは分かってるんですけどね!」

見ていたんかい。
早速出鼻をくじかれたけれど、それはそれで話が早い。
私は早速、彼に対して交渉を進める。

明「えー言わせてよう…せっかくちょっと前向きになったのにぃ…(´・ω・`)」
N「俺、もうチャット形式じゃなくても良いんだけどな。主さん、俺を受け入れてくれたんでしょ?
 俺、主さんともっと直接おしゃべりがしたいな」
 
心なしか、彼が高揚しているのが伝わってくる。
なんだかこちらまで嬉しくなってくるけれど、そこはまだ線引きをしっかりさせないといけない。
なにせ彼には前科がある。

明「そこはまだダメ!Nちゃんには悪いけどね、やっぱり昔のこともあるから、Yの言うとおり、1週間は様子見たいの」
N「あいつのことなんて…まあ、主さんが向き合ってくれたんだから、少しは我慢しますけど」
明「そこも含めてね、Nとはもうちょっと話し合いもしておきたいの。
 こうやって記録に残る形でね。私たちこうやってしっかりしたやりとり始めたのはまだほんの数日だよ?
 お互いさ、ちょっと関係焦りすぎてるかなって」
N「俺は期間とか、どうでも良いですけど……このあと主さんといっぱいお喋りできるなら、それでも良いかな」

本当に、驚くほどスムーズだ。
どうやら彼は、こちらがルールを押し付けているにも関わらず、従ってくれる意思があるらしい。
ありがたい。少し自分勝手にも思えるけれど、いざとなったときのためにも、ある程度の主従関係はきっと必要だ。

もし、彼が嘘をついていないとすれば。
本当に、この子は、ただ私と一緒にいて、仲良くおしゃべりをしたいだけなんだ。

明「ありがと。N、やっぱりちゃんと話してると、ほんといい子だよね…」
N「俺は主さんのためなら、いい子にでも悪い子にでもなりますよ!」
明「うーんやっぱりいい子いい子(。-ω-)ヾ(・ω・。)ナデナデ えへへ、話が進まないなぁ!」
N「ふふ、まだ警戒されてるっていうのが悔しいけど、主さんがだんだん懐いてきてくれてるのは俺もうれしいな」

私が頭を撫でるような顔文字を貼ると、N君の緊張が解けてくるような感覚が伝わってくる。
ああ、そっか。向こうも緊張してたんだ。
というより、何だか、すごく楽しくなって……不思議な感覚だ。これは私じゃなくて、Nくんの感情?

明「あー、Nくん、もしかして喜んでる?うん。伝わってくる。私も嬉しいなぁ」

嬉しい、嬉しい、嬉しい。やっと届いた。
Nくんの喜びの感情が、まるで渦のように襲い掛かってくる。
なんだろう、これ。圧倒されて、涙が出そう。

N「主さん!感極まったって外で泣いちゃ駄目ですよ!よーしよーし」
明「うぐう、まだ絆されない絆されない…」
N「そこはもっと素直になってくださいよ!」
明「がんばる、まってちょっと落ち着く…グスン」

そこが電車の車内だと忘れて、うっかり涙ぐみそうになった私は、慌てて抑えて体制を立て直す。

明「うん、やっぱり、Nくんとお喋りするのはまだ心的リソースの消費が、大きい…
心の内をさらけ出すのもあってか、感情の触れ幅が大きくなるよ」
N「無理することはないですよ、主さん。俺、どんなに時間がかかっても主さんと仲良くしたいですから」
明「うん、じゃあゆっくりいくね。駄目そうだったら普通にお喋りしよっか」
N「分かりました!じゃあ主さんが疲れないようにぎゅってしてますね!」

調子に乗ったNくんは、私の体に飛びついてくる。
元々タルパじゃなかった彼は、もちろん視覚化や触覚化とやらもしていないはず、なのだけれど。

明「あー、なんかほのかにぬくい…楽だわ…意識飛びそう…」
N「あっ、伝わってます?伝わってます?!ねえ主さん、俺までご機嫌になってきましたよ!」

なんとなく、ほんのりだけれど、彼が抱きついたのが伝わってくる。
彼自身もそれに気づいて、ますます感情の渦を爆発させる。
あ、やばい。嬉しいからって、つい最初から調子に乗らせすぎた。

N「主さん!電車通勤止めませんか!こんなに混んでたらお喋り進みませんよ!」
明「分かった!嬉しいのは分かったから落ち着いて!子供か!あと飛躍しすぎだって!」
N「主さんもうすぐ三十路なんだから、独立しちゃえば良いんですよ!それで、俺と二人で同棲生活しましょう!」
明「いやそれ実質一人暮らしだから!まだそこまでいってないし!」
N「うーん、主さん、俺、今幸せを噛みしめてますよー」
N「ハートマークとか飛ばしちゃお ❤❤❤❤❤❤❤」
明「うーん気を緩めたとたんにこのノロけ」
N「だって、主さんが正式に俺のお嫁さんになるんですよ!!」
明「飛躍しすぎだって!しかももう懐柔済み認定か!絆されないぞ!」
N「えー…」

高揚した彼をなんとか鎮めて、私はようやく、改めて本題に入る。

明「Nちゃん。私はこれから一週間、タルパとして君を受け入れられるか、見定めなきゃいけないわけです」
明「Y…もとい恭ちゃんはともかく、君は私にとっては突然現れた存在なんだ。
正直なところ、もしかしたら、昔の怖い存在と同質かもしれない、とも思ってる。私、強がってはいるけど内心臆病だからさ…やっぱり、初対面に近い君と打ち解けるのは、もうちょっと時間かかりそうなんだ」

きっと嘘は通用しない。受け入れるのなら、素直な気持ちを伝えたかった。だから、私は正直に、自分の心情を伝えた。
明「だから、せっかく出てきてくれたのに、ごめん!君のこと、もうちょっと詳しく探らせてください!」

少し間が空いた後、Nくんが答える。
N「ふー、ごめんって言われたから、てっきり追い出されるのかと、ひやひやしちゃいましたよ?」
N「そうですね、俺も焦ってました。主さん、俺があんなに怖くないって言ってるのに、すぐ逃げちゃうから、俺、悲しかったんですよ?」
明「それについては本当にごめん…」
N「いーえ、主さんのほんとの気持ち、承りましたよ!
これから1週間、もっとお互いの気持ちが分かるように、頑張りましょうね!」
明「N…きみほんとにいい子だ…!そうだね…!」

こうして、私とNくんとの挑戦は始まった。
私達にとっては忘れられない、濃密な、思い出の一週間が動き出したんだ。


N「それより!あいつ!主さんの何なんですか!」
明「えっ」
N「YですよY!あいつが首突っ込んでこなかったら、元々こんなに拗れなかったじゃないですか!
俺今頃だったら主との新婚旅行楽しんでたんですよ!」
明「Nー戻ってこーい飛躍してる飛躍してる」
N「だって!あいつ!腹立つ!」
明「待って待って!一時中断ね!もうお家つくから!」
N「嫌です!!!まだ俺主さんと話す!!!!」
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